くつろげて心地よい時間

 

前回は

 

わたしがくつろげる場所について書きました。

 

mahironron24.hatenablog.com

 

 

今日は

 

くつろげる心地よい時間について書きたいなと思います。

 

海でボーっとしたりカフェでコーヒーを飲む時間もそうですが、

 

瞑想の時間

 

わたしは何か考え事をし過ぎたり、ちょっとあれ?と思うことがあった時、

 

リセットしたい時などしばし瞑想の時間を作ります。

 

「瞑想って難しい」

 

「結局他の事を考えてしまってできない」

 

と言われることもあるのだけれど、

 

わたしは無になれる時間があると自分が整う感じがするんです。

 

時々書く余白と同じ事かもしれないけど、自分の中で

 

無になれる=空きができる

 

そんな感じです。

 

決して「さぁ!今から瞑想しよう!!」と思わなくても、

 

普段の日常の中でも少し目を瞑ってみたり

 

5分だけ、今している事の手を止めてみたり

 

ほんのちょっとでも瞑想すると違ってくるんです。

 

こういう時間を持つ様になったのはいつ頃だったんだろう?と

 

振り返ってみたのですが、

 

かなり前の高校生の頃がよみがえりました。

 

わたしが入学した高校は幼稚園からあるカトリックの学校だったのですが、

 

毎週月曜日の朝に聖書朝礼というものがありました。

 

朝礼で聖書の一文を読んで校長先生(シスター)の話を聴き

 

聖歌を歌うという時間でした。

 

高校生から入学したわたしは信者ではありませんでしたが

 

聖書朝礼委員会の委員に選ばれたのでした。

 

その委員になると何をするかというと、

 

聖書朝礼の進行や委員会でも聖書を読んで知識を深めるという事をしていました。

 

また校長や他のシスターや神父、教頭先生や他の先生方との合宿というものもあって、

 

確か那須高原の方に行った覚えがあります。

 

その合宿では10分か15分程、

 

宿泊している部屋でひとり瞑想する時間があったんですね。

 

白い壁に向かって座り目を瞑ってその時間を過ごす。

 

この時間はわたしにとっては今のわたしに繋がる貴重な時間だったなと、

 

30年以上経って改めてそう思うことができます。

 

 

後は、ここ数年は韓流ドラマを観ながら

 

普段の日常から少し離れる時間もとてもいい時間だなと感じてます。

 

 

今日は、自分にとってくつろげる心地よい場所や時間は

 

自分を大事にする時間なのではないかな。

 

 

 

 

 

わたしがくつろげる場所

嵐のような風と土砂降りの雨の朝。

 

今日は予定していた事があったのだけれど、

 

予定通りにはいってないようなのでおうちでまったりしながらコーヒーを飲んでます。

 

予定が予定通りに行かない時

 

あたふたと焦っても仕方がないので、

 

そんな時はまずはくつろぐことにしています。

 

まぁなんとかなるかなと思って。

 

 

日々心地よさを探求しているわたしですが

 

今日はわたしがくつろげる場所を書いてみようと思います。

 

まずはおうちの中

 

古い賃貸アパートだし、アパート周辺の管理も部屋のあちこちも気になってはいるのだけれど、

 

 

植物をたくさん育てているので緑に囲まれているので落ち着きます。

 

 
 
 
 
 
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こんな風に時々ホワイトセージでお部屋の浄化もしてみたり。

 

後は

 

海、緑がたくさんある場所、森の中に身を置くと、

 

とてもとてもくつろぐことができて心地よいのです。

 

昨年行った葉山の一色海岸

国道134号沿い 右に見えるのは江ノ島

 

海に行くとずっとボーっとしていられます。

 

 

飯能にある入間川は水がとても澄んでいて水が流れてる場所もとてもいいなと思いました

 

登山は苦手だけれど😅山々を眺めるのは好き

 

都心にある明治神宮の中もたくさんの緑に癒されます

 

海も森の中でも

 

ボーっとする時間を大事にしてます。

 

例えば、あれこれ考えてる事で頭の中がいっぱいになってしまったり、

 

悩み事で考えがうまくまとまらないなんて時は、

 

しばしボーっとする時間を意識的に取ることをしてみるといいかも知れません。

 

特に青色や緑色は心を落ち着かせたり自分軸を整えるのに効果的だと思います。

 

そうすると以前にも書いた様に自分の中に余白ができるんですよね。

 

ちょっと楽になると思います。

 

今日は、わたしがくつろげる場所を一部載せてみました。

 

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マヒロのプロフィール|VIRAL(バイラル)

信じて待って見守る 子育て

4月から高校生になった娘

入学して1ヶ月以上が過ぎました。

電車とバスに乗り2時間弱かけて毎日登校しています。

私にとって

高校の入学式に出た事ももちろん

毎日登校している事も

勉強してる事にも

本当に驚きの日々なのです。

卒業した中学校の先生もかなり驚いてたけれど

「〇〇(娘)に合ってたんですね〜!!」と言ってくれてました。

学校の理念も授業内容や生徒・教員とか人も土地も、この環境は彼女に合っているのかも知れないなと感じます。

 

学校の猫たちの写真を送ってくれるので癒されます


わたしが子育てでモットーにしている


信じて待って見守る

今日はこの事を書こうかと思います。

最初に書いた高校生の娘に関しても

今中学生の娘についてもそうだけど

小中学校時代、特に「待つ」ことを意識してました。

無理強いしない、娘たちのペースを大事にする。

もちろん、毎日毎日心穏やかに待っていられない事も多々あったけれど


動かないものを無理やり動かそうというのではなく

自分で動こうとするのを信じて待つ。という感じだったでしょうか。


そして今成人した2人の息子と大学生の娘に関しては、

この3人がいたからこそ

私が子どもたちの事を

信じて待って見守る

という信念を抱かせてくれたと思っています。

mahironron24.hatenablog.com


ここでも書いた様に

波乱万丈な人生の中にはこの3人の子どもたちとの関わりもあります。

その過去の詳細は今ここでは書きませんが

会えない期間がとても長くありました。

だからたくさんたくさん心配もしたし、毎日泣いてたし、自分が壊れそうでした。

でも壊れそうと感じられた時に

これではいけない!!と思えたんですよね。

それもまた子どもたち3人の存在で。

子どもたちを信じること、

時を待つこと、

そばにいなくても見守ることはできること
(見守るといってもどこにいるかわからないから空を眺めることで繋がりを感じていたけれど)

 

その信念を抱くことで

自分が自分を大事にできるようになったのでした。

だからと言って

いつも何事にも動じずなーんにも心配しないで信じられるのか?

と言ったらそうでもありません。

まるで自分を試されてるかのようにいろんなことが起きます。

そんな時はもちろん心配になったりあれこれ考えてしまったりもします。

ただそんな時にも心配し過ぎず

信じて待って見守る

このことを意識していると、

いろんな起きたことの状況が変わってくるという事を実感してます。

 

今日も良き日を

 

 

過去と今、そして未来の繋がり

先日、大学3年生の娘とお出かけしました。

 

娘が撮った写真がちょっと旅気分になれて素敵


バイト先のハンバーグ屋さんに連れて行ってくれて、

 

おいしいハンバーグとコーヒーを頂きながら、

 

最近のことやこれからのことなど話しました。

 

とってもおいしかったハンバーグ

街の中で、黒いスーツに白いシャツとパンプス、黒髪で長い髪の人は一つに結んでる姿の方々を見かけますが、

 

3年生になると就職活動をする時期なのかと思って、娘にも聞いてみました。

娘はこれがやりたい!という具体的なことはないけれど、

 

↑それはやりたくないとのこと。わたしも思わず「やらなくていいんじゃない?!」って言ってしまいました。


だって今の時代、バイトもスマホで探せて働けてしまうのに、未だに就職活動の為の容姿って大事なんだろうか?と率直に思ってしまいます。

 

もちろん、そういう会社や企業だけじゃないけれどね。


つい、高校に入学したばかりの娘の学校の様子を観てるので、

 

その真逆な風習にとても疑問を抱いてしまいます。(高校生の娘のことはまた今度書こうかなと思います)

そうすることが悪いとか良いではなく、自分はどうしたいか?と、自分に問いながら活動できたらいいのかなと思って。

 

わたし自身はというと、

 

中学卒業後は衛生看護科がある高校に入学して、

 

高校卒業後は正看護師の資格を取るために病院で働きながら専門学校に通っていました。

 

だから、就職活動というよりも就職先活動という感じだったのかな。

 

学校で配られた?置いてあった?分厚い全国の病院一覧雑誌を見ながら就職先を選んだのですが、

東京に住んでいながら「ここがいい」と思った病院が京都の病院だったので、総務の方が面談をしに来てくれたのを覚えています。


話はそれたけれど、


今後どんなことがやりたいか、これがしたい!というものがまだなくても、

 

今までやってきた事や今やってる事が繋がってたりするよね。って話になり、

娘も、前にやっていたバイトの経験が今のバイトでも役に立っているということが多い様でした。

バイト先の社長さんからも日ごろの働きぶりを教えて頂いたのだけれど、

 

今ここで経験していることも、この先の未来の自分に繋がっていくんだろな、

 

今の連続を積み重ねることで何か見つけられることがあるんだろうなと感じました。


そして、20歳にしてそのことに気づいて過ごしていることに、母は尊敬します。

 

それから、

 

未来のやりたいことが見つかった時もまた、じゃあ今自分ができることはなんだろうか?そう自分に問いかけて行動できるのだと思う。

 

このことって、就活生に限らず大人もそうですよね。

 

やりたいことがわからない、この先自分はどう生きたらいいんだろう。

 

そんな思いを抱えてる人は特に、今を大事に積み重ねていくといいのかも知れないですよね。


f:id:mahironron24:20220512173359j:image

 

過去と今、そして未来の繋がりって決して一方向ではなく

 

過去 ⇆今 ⇆ 未来

 

シンプルなことだけど、人生においてとても大切なことではないかな思ってます。

 

 

心地よさを探究することで発見できるものは何か?

わたしは常に自分の心地よさというものを考えているのだけれど、

じゃあ心地よさってなんだろうか?


わたしは

心地よさ」って、

自分を知る」ことであり、

自分らしさ」であり、

自分の感覚を大事にすること」であり、

それはつまり

自分を愛すること

なのではないか?と思っています。

自分の「心地よさ」がわかると

 

『心に余白ができる』と表現しているけれど、

 

そうすると

日々の暮らしや人間関係での悩みがそれほど気にならなくなるし、

つまり、


何かや誰かに対してイライラや怒りというものが内から湧き出てこなくなるという感じがするのです。


『心の余白』というのは

 

穏やかさや安らぎだったり、

豊かさ、幸福感と言ってもいいのかも知れません。

よく、自分がハッピーだと周りもハッピーな気持ちになれると聞いたりすると思うけれど、

自分を愛せる人、自分が幸福だと感じられると周囲もそういうエネルギーに変換されていく

こいういうことなんだろうなぁって思うのです。

 


だからもし、そう思う人々がたくさん増えたら、


家族も社会も世界も


幸せが増えていくのではないだろうか?


アインシュタイン


「愛こそが宇宙最強のエネルギー」と言っていたように

 

地球そのものが愛いっぱいになるんじゃないか?


なんてことをついつい考えてしまうのです。


まぁここまでいくと次元を超えた壮大なものだけれど、


じゃあ、今自分ができることは何だろう。

 

こうやって自分の思うことを綴っているのも今できること。


後は、


自分の中で考えたり、手帳に書いたりするだけでなく、


誰かに話をしてみることで気づけることってあると思うのです。


少人数でもお互いの話を聴く中にヒントもあるかも知れませんよね。


そんなことを日頃思っている最近、


そういう場を作ることもやってみようかな?


【心地よさ探究クラブ】なんていうのはどうかしら?と思ったりしてます。


なんか、小学生や中学生のクラブや部活動の様に、


「自分の心地よさを探してみたい」

 

「自分のことをもっと知りたい」


「自分では自分のことがわからないから誰かとそんな話をしたい」


そうやって、やりたいなぁと思う人が集ったら、なんだか楽しそう!

 

心地よさを探究することで、

 

こんなことをやってみたいと妄想する自分を発見できました。

 

自分が思う心地よさは、人それぞれ

前回の記事で、私のモットーを書きました。

 

mahironron24.hatenablog.com

 

その中で今日は、

 

日々の暮らしは心地よくについて書こうかな。

 

わたしは、常日頃から自分が心地よいと思うことを自分に確認する様にしています。

 

とは言っても、そうするようになったのはここ数年。

 

それまでは、自分のことよりも他者優先。

 

例えば

 

子どもたちや家族のこと、他の人のことを先に考えていたと思います。

 

それはもう、無意識からくる行動だったんじゃないかな。

 

どうしても子どもが小さいと、

 

子どもが食べたいものを食べたり、残した物を残飯処理の様に食べる。

 

それで自分の食欲はとりあえず満たしていた。

 

そんな感じでしたわたし。

 

同じことしてたとか今まさにそう!っていう人もいるのではないかな?!

 

でもね、そうしていくうちに、

 

「今自分が食べたいものってなんだろう?」

 

「とりあえずなんでもいいや」

 

という感じに、自分の欲するものがわからない状態になっていたのですよね。

 

思考・感情が麻痺しているような。

 

でもこれって、残ったものを食べて食欲は満たされている様で心は満たされていないのです。

 

これでは食事の時間が心地よいとはとても言えないですよね。

 

これは一つの例でしたけれど、仕事や介護をしていたりそういう場面でも同じことがあるのではないかと思います。

 

 

日々の暮らしを心地よく過ごしたい

 

そう意識し始めた時にわたしがまず最初にしたことは、

 

朝起きて顔を洗う時に鏡の中の自分をよく観ることでした。

 

今日の顔色どうだろう?

 

瞳の感じ、表情はどう?

 

とても些細なことのようだけれど、人と会う時にその人の顔色が悪そうだったら「どこが具合でも悪いの?」と心配になるのと同じように、

 

自分が元気かどうか観てあげることはとても大事だと思うのです。

 

 

そして、

 

何を食べようか?

 

カフェにコーヒーを飲みに行こうか?

 

家でゆっくりしようか?

 

今どうしたいか?

 

自分に聴くようになりました。

 

そうするようになって、日々がとっても楽になりました。

 

 

自分が思う心地よさは、人それぞれ

 

ある人はたくさんの人がいる賑やかな場所が好きだし落ち着くかも知れないし、

 

登山をして山頂でコーヒーを飲むと日頃の疲れも吹き飛ぶ!っていう人もいるかも知れません。

 

わたしはとても心地よいと感じたカフェ

わたしは、賑やかな場所よりも静かな環境が落ち着きます。

 

海に行ってただボーっとする時間も、緑がたくさんの場所で森林浴をするのもとても心地よいと感じます。

 

日々の暮らしの中で心地よいと思える時間が増えると、

 

なんとなく心に余白できる様な気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今に在る、そう感じられるようになってみたら

人生はシンプルに

 

日々の暮らしは心地よく

 

子育ては信じて待って見守る

 

これはわたしのモットーです。

 

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