くつろげて心地よい時間
前回は
わたしがくつろげる場所について書きました。
今日は
くつろげる心地よい時間について書きたいなと思います。
海でボーっとしたりカフェでコーヒーを飲む時間もそうですが、
瞑想の時間
わたしは何か考え事をし過ぎたり、ちょっとあれ?と思うことがあった時、
リセットしたい時などしばし瞑想の時間を作ります。
「瞑想って難しい」
「結局他の事を考えてしまってできない」
と言われることもあるのだけれど、
わたしは無になれる時間があると自分が整う感じがするんです。
時々書く余白と同じ事かもしれないけど、自分の中で
無になれる=空きができる
そんな感じです。
決して「さぁ!今から瞑想しよう!!」と思わなくても、
普段の日常の中でも少し目を瞑ってみたり
5分だけ、今している事の手を止めてみたり
ほんのちょっとでも瞑想すると違ってくるんです。
こういう時間を持つ様になったのはいつ頃だったんだろう?と
振り返ってみたのですが、
かなり前の高校生の頃がよみがえりました。
わたしが入学した高校は幼稚園からあるカトリックの学校だったのですが、
毎週月曜日の朝に聖書朝礼というものがありました。
朝礼で聖書の一文を読んで校長先生(シスター)の話を聴き
聖歌を歌うという時間でした。
高校生から入学したわたしは信者ではありませんでしたが
聖書朝礼委員会の委員に選ばれたのでした。
その委員になると何をするかというと、
聖書朝礼の進行や委員会でも聖書を読んで知識を深めるという事をしていました。
また校長や他のシスターや神父、教頭先生や他の先生方との合宿というものもあって、
確か那須高原の方に行った覚えがあります。
その合宿では10分か15分程、
宿泊している部屋でひとり瞑想する時間があったんですね。
白い壁に向かって座り目を瞑ってその時間を過ごす。
この時間はわたしにとっては今のわたしに繋がる貴重な時間だったなと、
30年以上経って改めてそう思うことができます。
後は、ここ数年は韓流ドラマを観ながら
普段の日常から少し離れる時間もとてもいい時間だなと感じてます。
今日は、自分にとってくつろげる心地よい場所や時間は
自分を大事にする時間なのではないかな。