「ヘドロの中には誰もが持っている小さな原石がある」に辿り着いた気づき

先日友人との会話で話した事や気づきを書き留めておきたいと思う。

 

自分が何がしたいか、どうしたいかわからないって時は、
疲れてないと感じていても心が無意識に疲れているのかも知れない。

 

自分自身をコップに例えた時、コップの中を7、8分目にして余白を作っておかないと
新しい水を入れても(あれこれやっても)溢れ出てしまう。

 



そして入っているのは水だと思っても、コップの底はヘドロ(自分にとって不必要なものとか)だらけかも?!

 

自分が何をしたいか、どうしたいかわからない時、自分を彷徨ってる時は、1度コップをひっくり返して洗い直す作業をするといいかも←勇気がいることかも知れないけれど。

 

そのヘドロは自分が見たくない自分の姿かも。
でももしかしたらそのヘドロの中に小さく輝く原石(本来の自分の姿)が隠れてるかも。

 

その小さな原石はきっと誰にでもあるもの。

 

コップも完璧にきれいに洗おうとしなくても、洗えば新たな自分好みの水を入れる事ができるよね。

 

つまり自分の生きたい生き方ができる

 

そしてそんな誰もが持っている石は、大小様々、光り方も様々、上や下、真ん中や斜め向こうにもあったりして、でもそれぞれに並べて同じ位置にする必要も、積み重ねて上下を決める必要もなく、ただその存在を尊重し合えるのがいいね。

 

・多様性とか調和とか個性を認め合うとかってこういう事かも。

 


そんな事をたくさんたくさん話した数時間。

そしてあの時は全く気づかなかったけど、「今だから気づけたね」って事もたくさんでした。

 

でもこういう会話をしていると「???」と思われてしまいがちなんですよね、わたしたち。話してると盛り上がって何時間でもこういう話をしてるんだけど(笑)

 

以前、次元が違うとか超越してるとか言われたこともあるのだけど、こういう話が面白い!と思ってくれる方がいたら嬉しい。